昭和6年、坂田医院は田園風景広がる妻沼に建てられました。まだ洋風建築が珍しかった時代、玄関ポーチの立派な柱に、タイル張りの外壁、モダンな照明を備えた豪華な洋館は、先進の医療機器や手術室を完
備し、常に多くの患者で溢れていました。
 「医師である祖父と父、それを手伝う祖母。家族での会話は患者さんに関する話題がほとんどでした」と川口さん。
 たとえ忙しくて一緒に遊べなくても、寂しくありませんでした。自宅が診療所に併設され、家族が懸命に働く姿を常に近くでみていた川口さんは、それをとても幸せに感じていました。同時に、家族に対する尊敬の気持ちが強く育まれました。
 「この旧診療所は、祖父の自慢の建物であり、家族の思い出が詰まった大切な場所です」
 川口さんのその想いが、旧診療所の未来を明るく照らすことになるのです。

 昭和61年春、新しい診療所設立とともに、旧診療所は薬品や医療器具を残したまま、医療施設としての機能を停止。祖父の跡を引き継いだ父・晃氏が平成14年に亡くなるまで、旧診療所はそのままにされていました。
 「このままでは家族に申し訳ない思いがしました。家族のために、この旧診療所のために、何か私にできることはないか。そしてある想いがこみ上げてきました。長い間閉ざされたこの場所にもう一度光をあててあげたいと。そう、家族で過ごしたあの頃のように」
 川口さんは、旧診療所を譲り受ける決意をしました。
 旧診療所に残されていた医薬品や医療器具、そしてホルマリン漬けされた臓器など、簡単には処分できないものばかり。莫大な費用がかかり、また、広大な敷地の清掃に、気が滅入りそうなことも多くありました。そんな苦労が続くなか、平成16年に妻沼町から文化財登録の話が届きました。

日が差しこむ廊下の光と影のコントラスト。
冷たさと温かさを感じさせるのがこの場所の魅力 
端正なデザインは当時の流行を取り入れたアールデコの影響を感じさせる照明器具
医療機器が整然と保管され、当時の面影そのままの診療室
多くの近隣住民がここで命を授かり、この旧診療所を大切に感じている
 「昭和49年2月、寒い冬の夜に祖父は往診先で倒れ、亡くなりました。まさに患者さんとともに生きた生涯でした。自分の身体をかえりみず、患者さんのことを第一に考えていたため、患者さんとは厚い信頼と強い絆で結ばれていたと思います。だからこそ、旧診療所には、多くの人々が集まりました。祖父の命と向き合う真摯な姿を感じとった人たちが自然とここに引き寄せられたのだと思います。
この場所は多くの人々にとって安心できる場所であり、愛された場所だから、そのままの形を残すのであればと、という条件でお引き受けしました」と川口さん。
 文化財として登録されたのをきっかけに、日本アカデミー賞最優秀作品賞に輝いた『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』のロケ地として使用されたのは、その2年後、平成18年のことです。
 「まるで夢のようでした。家族と過ごしたあの頃の風景そのままでした」
 川口さんの思い出の場所は、スクリーンを通してよみがえり、再び光を取り戻しました。
 「この旧診療所には、医療現場ならではの独特の冷たさがあります。でも、多くの人々が祖父を信頼し集まってきたように、安心させる温かさがあります。その両方を兼ね備えているところが、この建物の魅力ではないでしょうか」
 いわば光と影。川口さんの数々の思い出とともに、相反する魅力を兼ね備えた坂田医院旧診療所は、その後多くの映画やテレビドラマ関係者の目にとまり、作品を彩り続けています。

撮影実績
映画 テレビドラマ
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」
「結婚しようよ」
「イタリアの歌」
「行き先は春を希望」
「ラルゴノ心音」
映画「トリック3劇場版」
映画「ゲゲゲの女房」
「孤高のメス」 他
「パンドラ」(WOWOW)
「わたしが子どもだったころ」(NHK)
「イノセント・ラヴ」(フジテレビ)
「トリックスペシャル2」(テレビ朝日)
土曜ワイド劇場「逆転報道の女」 他



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