一の橋近くに建立している、蓮生法師(右)と平敦盛(左)の供養塔







 和歌山県の北部に位置する高野山。弘仁7年(816年)、 弘法大師空海が真言密教の修行の場を開いて以来、日本仏教の聖地のひとつとなっています。出家して蓮生法師と名乗った熊谷直実に縁あるお寺、高野山熊谷寺もそこに建っています。
 「蓮生法師は平敦盛の7回忌の法要を行いたいと思い立ち、師匠である法然上人に相談しました。すると高野山で法要を行うことを勧められてこのお寺を訪れ、奥の院に平敦盛の供養塔を建立したようです。蓮生法師の死後は、息子の直家がこのお寺を改築・修造し、法要を
営みました。その話を聞いた時の将軍・源実朝公が、熊谷寺と書いた扁額を下賜しました。それ以後、もともと智識院という名前でしたが、熊谷寺と改称したようです」と、 高野山真言宗・熊谷寺の住職、東伸光さん。
 熊谷寺は蓮生法師にとって父祖の菩提寺でもありました。平敦盛の法要後は、約14年間にわたってこの地にとどまり修行に励んだといわれています。
 「熊谷寺略縁起によりますと、法然上人や親鸞上人、そして時の関白・九条兼実公もこのお寺を訪れ、蓮生法師ともども一堂に会して歌会を催したといわれます。その様子を描いた『歌会の絵巻』は、このお寺に保存されています」
奥の院の最深部に建つ御廟橋。
奥には、ここで入定された弘法大師の御廟が建立されている
入口の一の橋から弘法大師御廟まで
約2キロの参道には、歴史上の著名な
人物の墓碑が並ぶ
 奥の院は、弘法大師が入定された場所で、その一番奥には弘法大師御廟があります。この参道の間には約2 0万基以上もの墓碑や供養塔が建立されています。平敦盛と蓮生法師の供養塔は、奥の院への入り口、一の橋近くに現存します。供養塔は古木の林の中にたたずみ、永い歴史を物語るその苔むした姿とあいまって、辺り一面に厳かな空気を醸し出しています。
 平敦盛の法要にあたって、浄土宗の開祖である法然上人は、なぜ、真言密教の修行の場である高野山を勧めたのでしょうか。

 「弘法大師は、誰もが平等に仏教を学ぶ場所として、高野山に修行の場を開きました。昔から宗派には関係なく、数多くの人を広く受け入れているのです。また、平安時代から弘法大師の功徳にあやかりたいと、奥の院に墓碑を建てるという弘法大師信仰が世間に広まったことなどが、その理由だと思います」
 蓮生法師と高野山熊谷寺との縁は、現在でも意外な形で続いています。

 「先代の住職がお寺の資料を調べるうちに、蓮生法師の逸話の再発見とともに、浄土宗の総本山・知恩院の門主と、熊谷寺代々の住職とが手紙を交わしていたことが分かりました。それがきっかけとなって、蓮生法師と浄土宗との縁を大切にしたいと思い、改めて知恩院との交流を図ることにしたのです。そのおかげで知恩院の門主がこのお寺を訪れてくれました」

 熊谷直実の子孫の方も、最近、熊谷寺を訪ねてきたといいます。蓮生法師は、高野山に歴史的な足跡を遺しただけではなく、現在においても、日本仏教の聖地にふさわしく、宗派を超えて縁を結ぶために、その力添えをしているようです。
故・司馬遼太郎氏もご覧になったことが
あるという、寺宝『歌会の絵巻』
高野山熊谷寺の本尊。
ここで、早朝勤行が行われており、宿泊客も参加することができる
熊谷寺の入り口の隣にある圓光堂には、蓮生法師の像をはじめ、浄土宗ゆかりのものが安置
高野山熊谷寺
承和4年(837年)に建立。初代の住職は、弘法大師の孫弟子である 真隆阿闍梨です。浄土宗とも縁が深く、法然上人二十五霊場の番外札所になっています。 なお、熊谷寺は宿坊を兼ねていて、一般の人でも宿泊することができます。

高野山熊谷寺 ご住職
東伸光さん


熊谷直実・蓮生法師と縁深い寺院
 熊谷直実や蓮生法師と関係のあるお寺は、全国各地に数多く存在します。ここでは、特に縁深い寺院についてご紹介していきます。
栃社山誕生寺 (岡山県久米郡久米南町)
 法然上人の出生の地に、蓮生法師が師匠の代理としてご両親のご供養のために墓参りしました。そこの旧邸を寺院に改めました。
浄土宗大本山・くろ谷 金戒光明寺(京都府京都市左京区黒谷町)
 蓮生法師が出家の際、ここで鎧を洗い松の木に鎧を掛けたといわれています。また、平敦盛と蓮生法師の供養塔は、ここにも建立されています。
西山浄土宗総本山光明寺 (京都府長岡京市粟生)
 念仏を称えられる地を求めて、法然上人に縁ある場所にお寺を建立しました。その後、上人から念仏三昧院の寺号を頂きました。
熊谷山蓮生寺  (静岡県藤枝市本町)
 蓮生法師が山賊に遭い無一文になり、藤枝宿で路銀の代わりに唱えた念仏が仏様に変化したという“念仏質入れ”の由来が伝わるお寺です。
大本山須磨寺 (兵庫県神戸市須磨区須磨寺町)
 平敦盛の首実検をしたといわれる源平ゆかりのお寺です。武士の姿の直実の像と、敦盛が討たれるまで所持していた『青葉の笛』が寺宝として保存されています。

 



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