熊谷の小麦収穫量は、本州一を誇ります。そんな熊谷産小麦の魅力を広めようと、地元の有志者たちによって設立されたのが、熊谷小麦産業クラスター研究会です。
「小麦は小麦粉の原料になるため、産地が注目されることはあまりありませんでした」と、会長をつとめる松本邦義さん。そこで熊谷小麦産業クラスター研究会では、活動を始めるにあたり熊谷産小麦だけで作る小麦粉の生産に取り組みました。
その上で「熊谷うどんの飲食店への普及」「熊谷うどんの土産品の開発」「学校給食への熊谷うどんの導入」という、3つの目標を掲げました。
 目標にうどんを選んだ理由について「小麦粉を原料にする食品は数多くありますが、熊谷では昔から家庭でうどんが食べられてきました。しかも熊谷で主に生産されている“ 農林61号”と“ あやひかり” は製粉すると中力粉になるので、麺類の原料に適しているんです」と松本さん。

熊谷うどんの定義として、熊谷産小麦粉を50パーセント以上使用することを定めているそうです。その熊谷うどんの証明が、店先に掲げられた赤いのぼり。現在、市内20数店舗のうどん屋さんや飲食施設で堪能することができます。
 その他にも、熊谷小麦産業クラスター研究会では、手打ちうどん教室や流し熊谷うどんを開催。
今年で4回目を数える流し熊谷うどんは、昨年の50メートルを上回る100メートルを企画しており、ギネス記録も視野に入れているそうです。
 そのような活動の背景には、地元への深い郷土愛が込められています。
「正直なところ、熊谷小麦産業クラスター研究会を発足するまで、私自身も熊谷の小麦収穫量を意識したことはなく、権田愛三という方の存在も知りませんでした。埼玉の人は『特徴がない県だよね』って言いますけど、意識をしていないだけで、身近に色々なものがあることを多くの人と話す中で気付かされたんです。そして熊谷うどんを食べたら、美味しくてどんどん好きになっていったんです。食料自給率を高めていきたいとの思いもありますが、堅苦しいことを言うつもりはありません。もっともっと掘り起こして、『熊谷にはこれがあるから遊びに来てよ』と、みんなが胸を張って言えるような楽しみを広めていきたいと考えています」

 江戸時代から熊谷周辺では、良質な小麦が栽培されてきました。その熊谷産小麦の生産技術向上 に多大な貢献をした人物が、江戸末期に現在の熊谷市東別府で生まれた権田愛三です。
 権田愛三はさまざまな研究を重ねながら、麦の根張りを良くする麦踏みや降雪量の少ない熊谷の 気候を利用した米と麦の二毛作を実践。技術改良の結果、導入以前よりも収穫量を4〜5倍に伸ば すことに成功しました。
 また、明治41年には研究してきた麦作生産技術を当時の農商務省に上申。画期的な技術改良が 全国に知れ渡り、権田愛三のもとには各地から講演や技術指導の依頼がくるようになりました。
 そのような貢献に対し、国は緑綬褒章と大礼記念章を授与。現在でも「麦作技術のルーツは権田愛三にあり」といわれるほど、権田愛三が見出した麦の栽培方法は、全国各地で受け継がれています。

   


写真提供:①②熊谷小麦産業クラスター研究会
①熊谷うどんの証明の赤いのぼり。 
②③④熊谷小麦産業クラスター研究会監修の熊谷産小麦粉100%使用の「熊谷うどん」は「農林61号」「あやひかり」の2種類の小麦でつくられており、それぞれの“風味”と“食感”が味わえます。
 


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