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熊谷市街を流れる星川沿いを上熊谷駅方面に向かうと、静かな佇まいの庭園に行き着きます。ここは、熊谷地方の発展に尽力し、熊谷県庁の誘致や旧熊谷堤の修築と桜の植樹、養蚕業の振興、私立中学校(折学社)の創設をはじめとする、偉大な功績を残してきた竹井澹如翁の別邸跡地。老朽化が著しかった
建造物は平成2年から4年にかけて建て替えられましたが、明治17年には昭憲皇太后がお立ち寄りになり、大正10年には秩父宮がお泊りになるなど、皇族や多くの名士が訪れた回遊式庭園は、当時の面影を色濃く残しています。 文化財保護係主査、鯨井敬浩さんの説明によると、現存する資料には「元和9年に近くを流れていた荒川の洪水で堤が決壊して池ができ、そこから清らかな水が湧き出した」との記述が残っているそうです。その池が、いまも回遊式庭園の中心に構える「玉の池」。竹井澹如翁はこの玉の池を囲うように樹木や名石を配し、池亭を建築して、要人や皇族を招き入れました。 |
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その後、昭和25年に熊谷市が譲り受け、翌年に「星渓園」と名付けられました。そして、昭和29年に市の名勝に指定。建造物と庭園の整備を進め、日本文化教養の場として復元しました。 | ||||||||
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星渓園を復元するにあたり、熊谷市は老朽化した施設の実態調査を実施しました。その結果を踏まえ、庭園に調和した風格と数寄屋感覚を取り入れ、潤いと安らぎが感じられ、市指定文化財に相応しい歴史公園とする整備方針が決定されました。その一方で、戦火を免れた数々の貴重な樹木を保存。「開花させることが非常に難しい」と文化財保護係主幹の吉野健さんも話す、「クマガイソウ」も植栽されています。 また、「加藤清正が朝鮮半島から持ち帰り、豊臣秀吉に献上された後に忍城主松平忠吉が譲り受け、巡り巡って竹井家が保管していたとされる袖振り石や天柱石も星渓園で公開しています」と、江南文化財センター所長、小林英夫さん。 文化財保護係主査、寺社下博さんによると「天柱石は崩落などの都度、少しずつ分離が生じた影響もあり、原型の推測が難しい」そうです。
その他にも、「死後の世界で閻魔大王の審判を受ける前に拝んでおけば裁きが軽くなる」と言い伝えられている十王供養塔が積翠閣と星渓寮の前庭にあり、庭石や門の一部には、木が化石化した珪化木が使われています。 それらは立ち止りながら散策しなければ、見落としてしまうほど自然に配置されています。十王供養塔には人を秤にかけた光景がはっきりと彫刻されていますが、袖の形をしていたことが名称の由来と思われる袖振り石は、どちらが前で後ろなのかすらも推測できないのが実情です。 だからこそ、想像力を膨らませながら眺めていると、無限の楽しみが広がります。もしかすると星渓園の庭園には、まだ知られていない貴重な遺産が隠れているのかもしれません。 そんなことを思いながら散策することも、星渓園の楽しみ方のひとつ。まだ見ぬ出会いに思いを馳せながら、回遊式庭園をゆっくり巡ってみてはいかがでょうか。 |
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