文殊寺


「五百羅漢」は寄居町の西端、末野に開かれた少林寺の裏山、その名も「羅漢山」の麓から山頂までの山道に点在する石仏群の総称です。山頂には釈迦のほか、文殊、普賢、十六羅漢の像があり、寺から山頂までの往路に五百羅漢、復路には千体荒神の板碑が安置されています。「羅漢」とはお釈迦様のもとで悟りを得た優れた弟子たちのこと。お釈迦様には羅漢が500人いたという故事から、山頂の釈迦像を参拝するために山道を行く人々を見守るよう、500体を超える石仏(羅漢像)が道すがらに置かれたと言われています。
少林寺の二十四世大純万明和尚によって五百羅漢が造られたのは江戸時代後期の1832年。今から175年前のことで、完成までに6年もの歳月を要したと伝えられてます。静寂に包まれた山中の小径のあちこちで穏やかに微笑みかける苔生した小さな石仏たち。その無垢な佇まいが見る人の心を和ませる五百羅漢は自然の中の散策にもピッタリ。一度は訪れて頂きたい、寄居町でも屈指の癒しスポットです。
 城下町として栄えた寄居町の“原点”とも言える「鉢形城」。起源は奈良時代まで遡ると伝えられる鉢形城が整備され、周辺に城下町としての形態が出来上がったのは江戸時代、北条氏邦の入城がきっかけでした。現存するのは城郭の基礎や部分的な堀だけですが、荒川の大河が創り出した河岸段丘の上に広がる巨大な城はまさに「天然の※要害」。戦国時代には北条氏領国の北辺の要として上杉謙信、武田信玄とも対峙。中でも天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命を受けた前田利家、上杉景勝らの軍勢5万人をわずか3500の兵力で迎え撃ち、互角にわたり合った1ヶ月の鉢形城攻防戦は、その※堅牢さを示す故事として今も語り継がれています。名門・北条氏70万石の大大名にふさわしい難攻不落の名城だったことは、わずかに残った城址からも容易に伺い知ることができるでしょう。広々とした城郭跡は芝生広場に、荒川を望む断崖上の自然林は木洩れ日やさしい散策路に。寄居町繁栄の礎を築いた北条氏邦と鉢形城は今も地域の人々の交流と憩いの場として親しまれているのです。

寄居町では鉢形城を拠点に領地の発展に力を尽くした名君・北条氏邦を偲ぶさまざまな行事が開催されています。中でも毎年4月の第二日曜日、戦国時代を再現する「寄居北條祭り」は鎧甲に身を固めた武将たちが行列をなし、玉淀河原に大砲の砲声が轟く寄居町で最大の市民イベントです。
勇壮な武者姿で参加した
寄居支店職員

※堅牢…(けんろう)堅くて丈夫
※要害…地形がけわしく守りに有利な場所(要塞)


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