合併


 平成19年2月13日、熊谷市は隣接する江南町と合併し、埼玉県北エリアでは初の人口20万都市となりました。財政基盤の強化に伴う行政サービスの充実や地域産業の活性化など、合併によるさまざまなメリットが期待される中、ここでは新しく熊谷市に仲間入りした江南町をクローズアップ。都市としての発展の歴史をたどると共に、そこで培われた文化や風土、恵まれた自然環境など魅力あふれるプロフィールをご紹介します。

 合併以前の旧・江南町は荒川を挟んで熊谷市の南側に隣接する人口約12000人の地方都市。雄大な流れを抱く荒川の南に位置することから中国・揚子江の南岸に広がる肥沃な江南の地になぞらえ、古より「江南」と呼ばれていたことが町名の由来です。荒川によって創り出された台地と沃野からなる江南町は豊かな自然環境に恵まれ、多様な歴史と文化を育んできました。
 北部の御正(村)地域は荒川南岸の沖積地帯を利用した水田が多いのに対し、南部の小原(村)地域は洪積台地上にあって畑や平地林が広がるという南北対照的な地域特性を持つことも、この地に多様な文化と独特の産業構造が根付いた理由と言えるでしょう。
 昭和30年、「町村合併促進法」の施行により御正村と小原村が合併し、前身である江南村が誕生。これを機に交通体系の整備や学校施設の充実、上下水道の整備といった生活基盤の拡充をはかると同時に工場誘致、宅地造成、県施設の受け入れなどを推進。かつては稲作と養蚕を主な産業とする純農村地帯が都市的形態を持つ市街地域へと大きく変貌していったのです。
 町制の施行は昭和60年11月1日。埼玉県下で41番目の町として発足した「江南町」はその後、中心部の土地区画整理事業で機能的な町づくりを展開するとともに、積極的なインフラ整備に取り組み、平成3年に交通の要である押切橋を開通。平成8年には地域住民の文化活動の拠点としての①総合文化会館「ピピア」をオープン。直近では、平成17年11月に栗やブルーベリーといった地元特産物を加工・販売する「②地域食材供給施設」が開設されています。

知恵を司る仏さまとして信仰を集める文殊菩薩像を祀った文殊寺は、※丹後の切戸、※出羽の米沢と並ぶ「日本三体文殊」の一つ。県内外から多くの受験生が合格祈願に訪れる、旧・江南町でも有数の人気スポットです。
丹後・・・ (丹後)現京都府の北部
出羽・・・ (でわ)旧国名、現山形&秋田の大部分
 町北部は荒川の沖積地帯、中央部は江南台地と呼ばれる洪積台地、そして南部は比企丘陵の北端に位置する変化に富んだ地勢は独特の自然景観を生み、多様な文化を育みました。都市としての発展はもちろん、“文殊の知恵”で知られる文殊菩薩像を祀った「③文殊寺」や南関東の代表的な農家住宅として国の重要文化財に指定されている「④平山家住宅」など、江南町の風土に息づくさまざまな歴史的文化財も魅力の一つ。また、農業集落排水処理施設の整備により水質が改善され、町内各地でホタルの舞う姿が見られるようになったことから「ホタルの保護に関する条例」を制定するなど自然環境保護に力を注いでいることも大きな魅力です。

押切橋南公園内
本物は上野の国立東京博物館に館蔵されています。
 このほか、洪積台地には前方後方墳2基を含む塩古墳群が現存。これは県北部の代表的な古式古墳群で、旧石器時代や縄文時代の遺物が数多く出土しています。⑤5男女1対の踊る埴輪(東京国立博物館蔵)が出土した野原古墳群にも20基以上の円墳があり、あわせて90基以上の古墳が点在する「史跡の町」であることも江南町の特色です。
 豊かな自然と歴史、そして生活の場としての都市基盤が調和した「暮らしやすいまちづくり」をめざす江南町との合併計画は、平成17年10月に旧・大里町、旧・妻沼町との合併により誕生したばかりの新「熊谷市」がさらなる発展・拡大を期して取り組んだビッグプロジェクトと言っても過言ではありません。
 具体的な協定内容は市民が自由に傍聴できるスタイルのもと平成18年5月から4回にわたって開かれた「熊谷市・江南町合併協議会」で綿密に協議され、同年7月27日に埼玉県知事への合併申請、その後、埼玉県議会での議決と県知事の決定を経て国へ届け出され、平成19年2月13日の正式合併にいたりました。20万都市へのステップアップはもちろんのこと、歴史的にも文化的にも独自の個性を持ち、豊かで変化に富んだ自然環境を備える江南町とのパートナーシップは熊谷市の新たな財産であり、有形無形のメリットを生む大きなトピックスなのです。


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