毎年7月20日から3日間、“ 日本一暑い” 熊谷の夏の幕開けの時期に盛大に行なわれる「熊谷うちわ祭り」。関東で最大とうたわれる祇園祭であり、出身者にとっては「お盆には帰省しなくても、うちわ祭りには帰ってくる」と言われるほど、古くから親しまれている熊谷市を代表する年中行事です。
 
 このうちわ祭りは、京都八坂神社の疫病退散の祈願を行う祇園祭が夏祭りとして全国に広がったもののひとつです。熊谷の八坂神社は、文禄年間(1592年〜)に京都の八坂神社を勧請し、現在の鎌倉町にある愛宕神社に合祀したので、京都八坂神社の末社にあたります。熊谷の夏祭りの記録が文書として登場したのは、江戸時代の寛延3年(1750年)のこと。町民から役人へ「夏祭りを各町内が一斉に行えるように」と願い出し、それが許可され、現在のうちわ祭りの形態が作られたと言われています。


 1830年頃から熊谷の祭りはいっそう賑やかになり、祭りの日には各戸で赤飯を炊いて疫病除けの祈願をしました。商店では訪れる買い物客へ赤飯を振る舞い、この「赤飯振舞」は熊谷の祭りの名物になりました。その後、泉屋横町の「泉州」という料亭が手間の掛かる赤飯の代わりに江戸から買い入れた渋うちわを客に進呈したところ、大変な評判に。やがて各商店も同じように赤飯の代わりにうちわを振る舞うようになり、これが「うちわ祭り」の発端となりました。そして時代が流れるにつれ、疫病退散祈願の祭りから、いつしか五穀豊穣・商売繁盛の祭りへと変わりました。

 そんな歴史あるうちわ祭りには、2つの見所があります。ひとつは、山車・屋台による壮大な叩き合い。第一本町区、第二本町区、筑波区、銀座区、弥生町区、荒川区、鎌倉区、仲町区の年番町(毎年、持ち回り制で祭り全体を統括する役を担う町のこと)を受け持つ8か町と、伊勢町区、桜町区、石原区、本石区の全12か町がそれぞれ自慢の豪華絢爛な山車・屋台を巡行し、7月20日夜には熊谷駅北口で、21日には主に各町区で、22日にはお祭り広場で、迫力満点の叩き合いを競演します。とくに22日のお祭り広場での叩き合いはうちわ祭りのクライマックスであり、まさに壮観のひと言です。こうした山車・屋台がうちわ祭りに登場したのは、明治24年のこと。第二本町区の菓子店「中家堂」の初代・中村藤吉氏が、江戸・神田の紺屋が所有していた山車を買い受けて、祭りに登場させたことがはじまりでした。
愛宕八坂神社
 
 そしてもうひとつの見所は、厳かに行なわれる神事。20日の早朝6時に本宮八坂神社で行われる、神様を神輿にお乗せして行宮のあるお祭り広場に迎える最初の神事「渡御祭」にはじまり、22日の朝9時には大総代(先述の年番町の中から選ばれる代表者)が神官の浄衣を纏い、祝詞を奏上する「行宮祭」がお仮屋で行なわれます。
そして22日深夜(23日の午前0時)には、神様をお乗せした神輿を無事に本宮八坂神社にお帰りいただく「還御祭」が行なわれ、うちわ祭りの3日間のすべての神事が終了となります。
 うちわ祭りは、曜日に合わせて祭りの日程を変えることはしません。それは、神事を古くから大切に考えているから。賑やかで盛大な行事としてだけでなく、古式ゆかしい文化もしっかり受け継いでいるのです。
①②③12か町自慢の山車・
屋台。祭りの大きな見所です。
⑤3日目にお祭り広場で行
われる壮絶な叩き合い。  
⑥期間中、山車・屋台は
各町所々での曳き合わせ。
愛宕八坂神社宮司
栗原 行平さん
熊谷うちわ祭
平成22年 年番町
銀座区 大総代
澁澤 良治さん
熊谷山車屋台祭研究会
会長
熊谷市観光協会
常任理事
新島 章夫さん
 写真提供:①②⑤熊谷市観光協会、③筑波区、⑥銀座区
 

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