「文明は、すべて“水”から起こります。行田も水とともに栄えた町ですが、かつてこの地を潤していた掘、沼、川は、今では残念なことにそのほとんどが埋められています。けれど、もしも水辺空間を復元できたとしたら、この町は、世界遺産の登録さえ目指せるのではないでしょうか。行田を水に囲まれた町に戻すことができたら……。それが私の夢なんです」
郷土を慕い、行田の歴史に思いを馳せるのは、行田市博物館友の会・副会長を務める永島健雄さん。行田の史実に明るい市民研究家です。
永島さんは昭和15年、行田市生まれ。行田市青年会議所の理事長への就任(当時35歳)を機に、郷土史への関心を深めていきます。行田の“史跡としての価値”や“風土の豊かさ”を認めるにつれ、「郷土史の研究はライフワークになった」といいます。

永島さんは現在、行田の魅力を伝え残すさまざまな普及活動を推進しています。
行田市教育委員会の故斎藤国夫先生が執筆した『ぎょうだ歴史系譜100話』をインターネット上に復刻。QRコードを使って利用できる「行田歴史モバイル」は2月に公開したばかり。さらに4月から開講される「行田市民大学」の立ち上げにも参画し、準備委員の要職に名を連ねています。
「行田市民大学は、行田の郷土史や環境、財政などを学ぶ講座です。1年間の修学期間を終えた方は“市民学士”に認定します。市民学士は、市民の手による自発的なまちづくりを支えてくれることでしょう」




5年前から、ものつくり大学を中心とする勉強会「水・城・まちつくり研究会」の運営にも尽力。21世紀の行田のあり方を提案しています。
「水を学べば、行田の重要性がよくわかります。江戸時代、わずか1200万人足らずの日本の人口が、明治維新後に3200万人まで増えているのは、利根川の恩恵を受けたからです。とくに、行田に作られた中条堤と見沼代用水路が果たした役割は明白だと思います」
利根川に設けられた中条堤が洪水から江戸を守り、見沼代用水路から注ぎ込まれた農業用水が肥沃な土壌を作ります。行田の発展が江戸を賑わしたのは間違いないようです。
そして明治維新以降も、行田は首都圏の水資源を支えています。“東京砂漠”と呼ばれた大渇水から東京を救ったのも、隅田川を浄化しているのも、利根川水系なのです。

「熊谷から流れる忍川を復活させたり、あるいは武蔵水路から水を引き入れるなどして、忍城周辺を水辺の空間にする。そうすれば、水と城、つまり、環境と歴史を大切したまちつくりができると考えています。行田を清流の流れる町として残していきたいですね」


水城公園は、忍城の外堀跡を利用して整備された公園です(昭和39年開園)。園内には、ホテイアオイが咲きこぼれる「あおいの池」、浮き釣り専用の釣り場として開放される「しのぶ池」、ツツジの築山と庭園が美しい「市民公園」などがあり、市民の憩いの場となっています。


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